ということで、アドラーや医者や研究者や作家がなんぼええ事を言ってても書いてても、実際に脳がキチガイ状態になってる者は、思考能力が欠落してるので全く響かないw
なので、アイスバス冷たい死ぬ〜熱いお風呂火傷する死ぬ〜を10セット1分づつ、20回取り敢えず3日間〜10日間、夕食の前にやってみてくれ!死ぬ気で、鍛冶場のクソ力を出すんだ!したらば俺みたいに熟睡して脳みそのヒダとヒダの間のゴミが掃除されて正気に戻れるかもしれない
小説『仮称山田健二、五十にして天命を知る物語』
序章:遠足の朝をもう一度
遠い昔、まだ世界が単純で、未来が無限に広がっていると信じられた頃。遠足の朝の、あの胸の高鳴りを覚えているだろうか。目覚まし時計よりも早く意識が浮上し、薄闇の中でさえ、今日という一日が特別な輝きを放っているのを感じた。カーテンの隙間から差し込む最初の光は、まるでスポットライトのように部屋を照らし、冒険への序章を告げていた。新品のズックの匂い、母が詰めてくれた弁当の重み、友達の笑顔。その全てが渾然一体となり、言いようのない幸福感と全能感で胸がいっぱいになった。
山田健二、五十歳。今の彼にとって、その記憶は色褪せた写真のように、ただ懐かしく、そして痛い。アルコールという名の濁流に身を任せ、不眠という深い森に迷い込み、うつという重い鎖に繋がれて久しい。夜明けは鉛色の帳として訪れ、新たな一日が始まることへの期待など、どこにも見当たらなかった。あのキラキラした朝は、人生という長いトンネルの入り口に置き忘れてきた、大切な宝物のようだった。
「もう一度、あの朝を…」
それは、単なる願望ではなかった。失われた生命力そのものへの、魂の渇望だった。この切実な問いに突き動かされ、健二は人生の貴重な時間を「研究」に注ぎ込んだ。約六年間。その歳月は、彼から十億円単位の資産を奪い去り、代わりに深い孤独と、時折訪れる絶望の発作をもたらした。だが、灰燼の中からでも、僅かな火種は生まれる。彼は、ある「必殺技」の原型となる光明を見出しつつあったのだ。それは、暗闇の中で手探りで見つけた、細く、しかし確かな蜘蛛の糸だった。
第一章:市場の鉄槌、魂の破砕
健二はかつて、株式市場という戦場で百戦錬磨の兵士だった。数字とグラフを読み解き、群集心理の逆を突いて利益を上げる。そのスリルと達成感が、彼のアイデンティティの一部を形成していた。しかし、市場は時に冷酷な暴君と化す。トランプショック。その四文字が世界経済を揺るがした日、健二の築き上げた砦は、まるで子供の砂遊びのように脆くも崩れ去った。
ロングでもショートでも、彼がポジションを取るたびに、損失は雪だるま式に膨れ上がった。モニターに映し出される赤い数字の羅列は、彼の精神を容赦なく鞭打つ。それは単なる金の喪失ではなかった。自身の判断力、経験、そして存在そのものが否定されるような、根源的な敗北感だった。
「…また、始まったか」
うつの黒い犬が、再び彼の心を牙で引き裂き始めた。以前、彼は「スモークサウナ」と名付けた自己流の健康法――熱気と煙で心身を浄化するという、どこかシャーマニズム的な儀式――で、この暗闇から一度は這い出した経験があった。だが、今回の精神的打撃は、その比ではなかった。スモークサウナは、表面的なストレスには効いても、魂の奥底に突き刺さった絶望の棘を抜くには、あまりにも無力だった。
病院の門を叩く気力は、とうに失せていた。若い頃の無謀な冒険、情熱的な恋愛、達成感に満ちた仕事。それらは皆、遠い過去の出来事となり、未来にはただ緩やかな下降線しか見えない。希望の光が薄れていくと、人は不眠という暗闇に足を踏み入れ、アルコールという偽りの慰めに手を伸ばす。健二自身が、その典型だった。毎晩、ウイスキーのボトルを空けなければ眠りにつけず、朝は重い頭痛と自己嫌悪と共に目覚める。そんな日々が続いていた。
「アルコール依存なんてものは、死の淵を一度覗けば、大抵の人間は自然と足を洗えるもんだ」健二は、ある種の達観と共に語る。「俺の周りの爺さん連中も、若い頃は浴びるように酒を飲んでいたが、医者から『このままでは死にますよ』と宣告された途端、ピタッと辞めた。結局、人間は死ぬのが怖い。本能レベルでな」
だからこそ、健二は声を大にして言いたい。
「どうせいつかは辞めることになるんだ。もしアンタの人生に、まだ一縷の希望でも残っているのなら、今日、この瞬間から酒を断て」
不眠と不安は、人を孤独にし、やがて病院の扉を叩かせる。睡眠導入剤、抗うつ薬。それらは確かに、一時的な安らぎをもたらすかもしれない。しかし、その代償はあまりにも大きい。薬の副作用で思考が混濁し、感情が希薄になり、まるで自分自身が薄っぺらな存在になってしまったかのような感覚。薬への依存、そして中毒。薬なしでは眠れない、薬なしでは不安でいられない。そんな悪循環に陥った人々を、健実は嫌というほど見てきた。
不眠が引き起こす強い不安、そして薬の副作用が引き起こすさらなる不安。その負のスパイラルは、脳を常に興奮状態に保ち、休息を許さない。やがて薬は効かなくなり、次から次へと新しい薬を試す「ドクターショッピング」が始まる。そんな状態が半年も続けば、多くの人間が精神の均衡を失い、社会生活から脱落していく。
「こうなると、本当に厄介だ。一生病院通い、一生薬漬け。俺も大手化学メーカーや製薬企業の株を少なからず持っているから、大きな声では言えんが、彼らは営利団体だ。学会を裏で操り、研究者や医師を使って、薬物療法が第一選択であるかのようなガイドラインを作り上げている。そうとしか思えないんだ」
「メンヘラ」というレッテルを貼られた人々。彼らは本来持っている能力のほんの一部しか発揮できず、自分のことで精一杯になる。周囲からは腫物のように扱われ、孤立し、さらに引きこもる。内閣府の調査によれば、日本国内の引きこもりは百四十六万人。生産年齢人口の実に五十人に一人が、社会との接点を失っている。これは、もはや個人レベルの問題ではなく、国家的な損失だ。
アメリカで最新の精神医学を学び、YouTubeで絶大な人気を誇る精神科医、樺沢紫苑先生。彼でさえ、三十年間で一万人以上の患者を診て、真の意味で「治療終結」に至ったのは、わずか十人にも満たないと公言している。健二はその動画を複雑な思いで見た。精神の病とは、それほどまでに根深く、厄介なものなのだ。そして、重症化すれば、それは静かに死へと誘う扉となる。
「少子高齢化、多死社会。病を抱えた老人だらけの日本の未来は、どう考えても暗い。俺自身も、商売が傾き、暇と退屈を持て余し、酒と不眠に溺れていた。そんな自分自身のため、そして同じように苦しむ家族、友人、知人、さらには見ず知らずの誰かのために、俺は自分の体を実験台にして、この暗闇から抜け出す方法を模索し続けたんだ」
その執念が結晶化したものこそ、「ブラクラメソッド完全版」。それは、健二にとって最後の希望であり、他者と分かち合いたいと願う、魂の処方箋だった。
第三章:再生の三位一体 カレー、運動、そして熱湯と氷
山田健二が六年もの歳月と、なけなしの資産、そして心身の健康を賭して編み出した「ブラクラメソッド完全版」。その核心は、驚くほどシンプルでありながら、実践には強い意志と覚悟を要するものだった。
一、 食事革命:魂を呼び覚ますスパイスカレー
新鮮な肉(特に内臓系を推奨)、そして旬の野菜をふんだんに使ったスパイスカレーを、毎日三食、必ず「自分で」作る。市販のルーは使わず、ホールスパイスから調合する。ターメリック、クミン、コリアンダー、カルダモン、クローブ、シナモン、カイエンペッパー…。それらを炒め、香りを引き出し、食材と融合させる。その行為自体が、一種の瞑想となる(キチガイ状態の者が普通の瞑想すると、不安が増幅して迷走する。調理は認知症にもいいよ)。
二、 運動療法:大地との対話、自己との対話
激しいトレーニングである必要はない。近所の緑の深い公園を散歩する、近くの低山に登る、あるいはただ太陽の光を浴びながら深呼吸をする。重要なのは、自然との繋がりを感じ、自分の体の声に耳を澄ませること。健二は特に、早朝の人の少ない時間帯に、静かな森の中を歩くことを好んだ。木々のざわめき、鳥のさえずり、土の匂い。それらが、荒んだ心を洗い流してくれた。
三、 究極の温冷浴:生と死の狭間で覚醒する
摂氏四十六・五度の熱湯に一分間浸かり、その後、氷を投入して自分の極限まで冷やしたアイスバスに一分間。これを十セット繰り返す。熱湯は血管を拡張させ、アイスバスは収縮させる。この急激な変化が自律神経を激しく揺さぶり、強制的にリセットする。痛みと快感が交錯する、まさに荒療治。健二は自宅の浴室に、Amazonで購入した簡易浴槽を設置し、この儀式を執り行っていた(熱すぎて無理という人は、水風呂から始めて)
「今年のトランプショックで、なけなしの虎の子まで失いかけた時、俺は再び絶望の淵に立たされた。不安で体が石のように固まり、眠れぬ夜が続いた。だが、このメソッドを、さらに徹底的に、鬼気迫る勢いで実践したんだ。痛みを感じるほどの熱い湯、心臓が止まるかと思うほどの冷たい水。そして、全身の細胞が歓喜するようなスパイスカレー。これで俺は、文字通り蘇った。生馬の目を抜くと言われる船場の商人でさえ、ただでは死なん。この苦しみが、メソッドをさらに研ぎ澄ませてくれたのさ」
食事の重要性について、健二は特に熱を込めて語る。
「俺たちは、食べたもので出来ている。これは紛れもない真実だ。家族やコンビニ弁当、外食に食事を丸投げしている人間が、不眠だ、うつだと嘆いているのを見ると、正直言って腹が立つ。劇薬を飲む前に、まず自分の口に入れるものを変えろと言いたい。他人の作った、愛情もエネルギーも感じられない料理で、自分の魂が満たされるわけがない。自分で食材を選び、自分で調理し、自分で味わう。この主体性こそが、回復への第一歩だ」
そのために、健二がに出品しようとしているのが、関孫六のダイヤモンド&セラミックシャープナーだった。
「どんな安物のナマクラ包丁だって、こいつで数回研げば、カミソリのようにスパスパ切れるようになる。この感動は、使った者にしか分からない。この切れ味抜群のマイ包丁で、自分の体が欲するものを、自分の手で調理するんだ。人間にとって、三度の食事は生命維持の基本であり、最高の喜びの一つだ。それを他人に任せきりにしているから、心が弱った時に、どうしようもなく不安になる。自分で作り、自分で食べる。そして、食後はボケ防止も兼ねて、あえて冷たい水で自分で食器を洗う。これぞ真の自給自足。この一連の行為が、生きる自信を取り戻させてくれる」
健二は、ビル・ゲイツやジェフ・ベゾスといった成功者が日課として皿洗いをするという都市伝説(真偽はともかく)を引き合いに出し、その行為の精神的な効果を説く。皿を洗い、キッチンを清潔に保つことは、脳をリフレッシュし、一種の「ととのい」をもたらすと。
「掃除は、心の浄化だ。それなのに、皿洗い一つ家族や使用人にやらせている経営者がいるとしたら、そいつは裸の王様だ。…ああ、耳が痛いな。復活前の俺自身が、まさにそれだった」と、苦笑いを浮かべた。
KKRの共同創業者、賢人ヘンリー・クラビスの「コンフォートゾーン(居心地の良い領域)から脱出せよ」という言葉は、健二の座右の銘の一つだ。
「昨年、不眠うつで何もかもうまくいかなかったアンタ。いつものカフェで、いつものコーヒーを飲みながら、いつものように時間を浪費している場合じゃない。このメソッドを試してみてくれ。ちなみに俺は、今回の損失を取り返すべく、愛車だった高級スーパーカーを売り払い、二十年前のトヨタのボロいトラックに乗り換えた。中東の紛争地域で、武装勢力が乗っているような、あの手のやつだ。エアコンも効かないマニュアル車。渋滞にハマれば地獄だが、この不便さが、逆に凝り固まった頭をほぐしてくれる。不思議なもんで、最近じゃ株の成績も上向いてきた」
先日、で気まぐれに落札した、パワステなしの旧型スポーツカーに久しぶりに乗ってみた。以前は、その扱いにくさに辟易していたはずなのに、今はまるで自分の手足のように操れ、運転が楽しくて仕方なかったという。
「幸福を本当に味わうには、一度どん底の不幸を経験する必要があるのかもしれんな。不眠で苦しんでいるアンタも、人より深く落ち込んでいる分だけ、そこから這い上がった時の喜びは、きっと何倍も大きいはずだ。その『伸びしろ』を信じろ」
第四章:氷の抱擁、スパイスの囁き
不眠障害にしばしば伴う、うつの陰鬱な思考パターン。過去の後悔と未来への不安が、悪夢のように頭の中で繰り返される、あの地獄のメリーゴーランド。これに対して、健二はアイスバスが劇的な効果をもたらすと断言する。
「病院で処方される睡眠導入薬や抗うつ薬は、一時的に症状を抑え込むだけで、根本的な解決にはならない。むしろ、薬が切れた時の離脱症状や、副作用による精神的な変調の方が恐ろしい。最悪の場合、希死念慮に繋がることもある。だが、アイスバスには副作用がない。あるのは、強烈な覚醒と、その後に訪れる深いリラックスだけだ。これは俺個人の体験だけじゃない。ナイキのようなグローバル企業も、アスリートのリカバリー方法としてアイスバスを推奨している。科学的な根拠もあるんだ」
健二は、今回の「出品」である包丁研ぎの落札者への特別な「おまけ」として、彼自身が厳選した上質な初心者向けスパイスセット(カレー約三十~五十食分)を付けると宣言している。
「本格的な漢方スパイスカレーの作り方は、ネット上に素晴らしい先達がたくさんいるから、それを参考にすればいい。もし、ついでに精力減退も改善したいというなら、ニンニクと生姜をこれでもかというくらい大量に投入してみろ。その効果には、きっと腰を抜かすはずだ」
新鮮な野菜が手に入りにくい都市生活者には、大胆な提案もする。
「いっそのこと、都市近郊の、少し寂れた地域(市街化調整区域)の不動産を格安で手に入れて、単身赴任でもしてみるのも一手だ。家族全員で移住となるとハードルが高いが、自分一人なら何とかなる。コロナ禍以降、地方の物件は驚くほど安くなっている。数百万も出せば、150坪庭付きの一軒家だって夢じゃない。そういう場所なら、近所の農家が朝採れの新鮮な野菜を無人販売していたりする。それをたっぷり使ったカレーを食べれば、体の底からエネルギーが湧いてくるのが分かるはずだ」
健二自身、スパイスの世界に魅了され、インドや中国から希少なスパイスを個人輸入したり、骨董市で見つけた古い石臼でホールスパイスを挽き、食後に自家製チャイを淹れて楽しんだりと、探求の日々は尽きない。
「うちの奥さんは、俺がこのおまけのスパイスで作ったカレーを一口食べるなり、『これ、ミシュランの星付きレストランのカレーと同じ味がする!』って驚いてたよ。まぁ、ちょっとした秘密があって、水の代わりに韓国のスンドゥブチゲの素を使ってるんだけどな。これがまた、簡単なのに深みが出て最高なんだ」
そして、温冷浴の真髄に触れる時、健二の言葉は詩的な響きさえ帯びる。
「サウナ施設や自宅での温冷浴を、正しい方法で、真剣に突き詰めていくと、ある瞬間、セックスを遥かに凌駕するような、強烈で持続的な多幸感に包まれる。それは、この世のものとは思えないほどの快楽であり、脳内麻薬がドバドバと放出される感覚だ。肉体が死ぬと勘違いしてるんだろうな。俺は、あらゆる宗教は結局のところ金儲けのシステムだと思っている。特に、歴史の浅い新興宗教は、信者から金を巻き上げることに熱心だから関わらない方がいい。天国も地獄も、死んだ後の世界にあるんじゃない。今、この瞬間の、俺たちの心の中にあるんだ。もし、人生に退屈している若い女性に、この本格的な『ととのい』の境地を教えてあげることができたら…彼女はきっと、『何これ…!信じられないくらい気持ちいい…!こんな世界があったなんて!』と感動し、アンタに特別な眼差しを向けることになるかもしれないぜ」
健二の言葉は、時に荒々しく、時にユーモラスで、時に挑発的だ。しかし、その全てが、彼自身の壮絶な体験から絞り出された、偽りのない本心だった。
「俺みたいに、過去の悪行の報いなのか、不眠うつで死にたいなんて考えている奴がいるなら、騙されたと思って試してみてくれ。毎日の熱湯アイスバス交代浴。新鮮な食材を使った栄養満点のスパイスカレー。そして、一滴たりとも飲まない完全な断酒。これを続けながら、太陽の下で体を動かし、自分が本当に楽しいと思えることを見つけて行動する。そうすれば、きっと、アンタも『真人間に』戻れるはずだ!」
第五章:心の羅針盤 賢者の言葉、道化の真実、そして自己受容
健二は、不眠治療の困難さについて、改めて深く考察する。街のクリニックはもちろん、大学病院の名医でさえ、完治させるのは至難の業だ。睡眠研究の世界的権威であり、ノーベル賞に最も近い日本人とも言われる柳沢正史先生が開発した最新の睡眠薬、オレキシン拮抗薬(ベルソムラなど)。健二も藁にもすがる思いで試したが、彼の深刻な不眠と、そこから派生する強迫的な不安には、ほとんど効果を感じられなかった。それどころか、予期せぬ副作用で精神状態が悪化し、一時は悪夢のような日々を送った。
「脳に直接作用する薬物というのは、それが合法的な処方薬であれ、違法なドラッグであれ、本質的には劇薬であり、脳という精密機械を無理やり操作するものだ。アルコールも同様だ。薬効で一時的に不安感が消えたとしても、副作用で思考力は低下し、創造性は奪われる。そして、肝臓や腎臓への負担も馬鹿にならない。長期的に見れば、確実に寿命を縮めている。メンヘラと呼ばれる人々が、統計的に短命なのは偶然じゃない」
健二は、老化に伴う不眠や不安障害といった精神的な不調を、安易に「病気」とラベリングすること自体が、治癒への道を閉ざすと力説する。
「医者から『あなたは〇〇病です』と診断され、自分自身も『私は病人なのだ』と思い込むことで、人間はさらに弱っていく。ネットで病名や症状を検索すれば、不安を煽る情報ばかりが目につき、ますます状態は悪化する。なぜなら、現代科学でさえ、人間の意識や感情が生まれるメカニズムを完全には解明できていないからだ。脳内で繰り広げられる複雑な電気化学的信号のやり取りが、なぜ愛や憎しみ、喜びや悲しみといった主観的な体験を生み出すのか。その根源的な問いに、明確な答えはない。ならば、いっそのこと、『病気』ではなく、『単なる老化現象』あるいは『生まれ持った個性』だと割り切って受け入れてしまうのはどうだろうか。『自分はこういう人間なんだ』と、ある意味で諦め、そして騙し騙し付き合っていく。そうすると、不思議なことに、脳は『この問題はクリアされた』と認識し、警戒態勢を解く。パニック状態の赤信号から、平常心の青信号へと切り替わり、穏やかな眠りへと誘われるようになる」
実際に、精神的な不調を抱えながらも、病院には通わずに日常生活を送っている人々は、統計に出る患者数の何倍も存在する。彼らは、仕事や家族の世話、あるいは趣味に没頭することで、自分の内面の問題と巧みに距離を置いている。忙しさ、やるべきことがあるという現実が、彼らを支えているのだと健二は言う。
「暇と退屈は、精神の最大の敵だ。時間を持て余すと、ろくなことを考えない。特に、自分の将来について深刻に考え始めると、誰だって憂鬱になる。人間の最終的な出口は、例外なく『死』なのだから。そんな当たり前のことを真面目に考えすぎるから、心が病む。そして病院へ行き、医者から病名を告げられ、自分は病人だと思い込み、さらに弱っていく。健康だった人が、会社の人間ドックで偶然ガンが見つかり、手術や抗がん剤治療を受けて、あっという間に衰弱して亡くなる…そんな話をよく聞く。もし彼らが、人間ドックなんか受けずに、自分の病気に気づかなければ、もっと長く元気に生きられたのではないか…そう思えてならない」
「不眠症も同じだ。『今日も二時間しか眠れなかった…』『四時間しか眠れなかった…』と嘆くから、精神が錯乱し、それが『病気』になる。『やった!今日は二時間も熟睡できたぞ!』『たった四時間で、こんなにスッキリ回復できるなんて、俺の体はなんて効率的なんだ!ラッキー!』と、思考のフレームをガラッと変えてみる。そうすると、脳は意外と簡単に騙されて、症状が軽快することがある。これが、不眠障害というものの、厄介でありながらも面白い側面だ」
そして、不安という感情については、健二が敬愛する(時にその奇行に呆れながらも)異端の思想家、「ジュン爺」の動画から得たインスピレーションを語る。
「不安は、不安タスティック(ファンタスティック)だ! ジュン爺は、普段は支離滅裂なことばかり言っているが、時折、ハッとするような本質を突いてくる。彼が言うように、これからの時代は、多数派に埋もれるのではなく、少数派、アウト老を目指すべきだ。若作りするのではなく、潔く『老け作り』をする。昔、美女と謳われた女性も、老いという現実を嘆くのではなく、それを新たな魅力として受け止める。そこに、生きるヒントが隠されている。俺自身、トランプショックで世界恐慌が来るんじゃないかとパニックになった時、『不安タスティック!』と、大声で叫んでみたら、不思議と気分が楽になった。これぞ、古来から日本人に伝わる『言霊』の力かもしれないな。そして、メンヘラや、いわゆる『キチガイ』と呼ばれる人々に決定的に欠けているのは、この種のユーモアのセンスだ!」
株式市場で長年生き残り、莫大な富を築く投資家たちもまた、常に少数派の視点を持つという。大衆と同じ行動を取っていては、決して勝つことはできない。
「この種の、少し変わった性格――短時間睡眠でも平気、常に何かをしていないと落ち着かない多動性、内側から突き上げてくるような焦燥感――これらのエネルギーを、ネガティブな方向ではなく、創造的な活動や事業にぶつけることで、世の中で大きな成功を収めている人間は、実は結構多い。スティーブ・ジョブズしかり、イーロン・マスクしかり。彼らは、いわゆる『普通』の枠には収まらない、強烈な個性とエネルギーの持ち主だ。要は、気の持ちよう。自分が最も輝ける場所、自分の個性が最大限に活かせる分野を見つけ出し、長所を徹底的に伸ばし、短所は見て見ぬふりをするか、あるいはそれすらも武器に変える。そして、精神状態が赤信号になったら、熱湯アイスバス交代浴という『安全装置』を発動させる。各々が、自分にとっての『お守り』を見つけることが肝心だ。そうすれば、アンタの中に眠っている焦燥感は、世界を変えるほどのエネルギーに転化するかもしれない。それを、睡眠薬やアルコールで無理やり抑え込もうとするから、治るものも治らず、絶望して死にたくなる。アンタは、他の人より感受性が豊かで、エネルギーの振れ幅(ボラティリティ)が大きいだけなんだ。そして、歴史を振り返れば、こういう異端のエネルギーが社会を大きく動かすのは、いつだって混乱の時代だ。もしかしたら、そんな時代が、もうすぐそこまで来ているのかもしれないぜ。だから、安心して、今日からぐっすり眠ってくれ」
最後に、健二は穏やかな口調で、しかし確信を込めてこう締めくくる。
「失うものが多い人間ほど、不安もまた大きくなる。もしアンタが今、どうしようもない不安に苛まれているとしたら、それは『自分の器以上に多くのものを抱え込みすぎているよ』『もっと肩の力を抜いて、身軽になりなさい』という、神様か仏様か、あるいはご先祖様からの、ありがたいメッセージなのかもしれない。老いも若きも、人生は驚くほど短い。過去の栄光に囚われず、未来の不安に怯えず、ただ『今、この瞬間』をシンプルに、そして楽しく生きようじゃないか。自分の過去や未来について、あまり考えすぎるな。健闘を祈る!」
終章:ダイヤモンドダストの朝に、再び
山田健二は、ゆっくりと瞼を開けた。窓の外は、まだ薄藍色の夜明けの気配が漂っている。しかし、昨日までの鉛色の重苦しさはない。カーテンの隙間から差し込む微かな光が、部屋の隅々まで優しく照らし出し、空気中に舞う微細な埃さえも、まるでダイヤモンドダストのようにキラキラと輝いて見えた。
彼はベッドから起き上がり、深く息を吸い込んだ。ひんやりとした清浄な空気が、肺の奥深くまで満たしていく。体の細胞の一つ一つが、喜びに打ち震えているような感覚。遠くで、一番鶏の声が聞こえた。
一杯の白湯をゆっくりと飲み干し、浴室へ。湯船には、すでに摂氏四十六・五度の熱湯が張られている。意を決して身を沈めると、皮膚を刺すような熱さが全身を駆け巡る。一分後、隣に用意された氷水――簡易浴槽に大量の氷を投入し、キンキンに冷やされた水――に飛び込む。心臓が鷲掴みにされるような衝撃。だが、この極端な刺激こそが、彼の生命力を呼び覚ます。熱湯と氷水の間を十往復。その苦行とも言える儀式を終える頃には、体は芯から温まり、頭脳は驚くほど明晰になり、そして心は深い静寂と平安に包まれていた。
遠足の朝。
そうだ、この感覚だ。
目の前の世界が、まるで生まれ変わったかのように新鮮で、キラキラと輝いて見える。これから始まる一日が、どんな素晴らしい出来事で満たされるのだろうかと、胸が期待で高鳴る。
五十年の歳月を経て、健二は確かに、あの失われたはずの朝を取り戻していた。六年の暗中模索、十億という数字で表される損失、そして筆舌に尽くしがたい精神的苦痛。それらは決して無駄ではなかった。全ては、この「ダイヤモンドダストの朝」に辿り着くための、必然の道のりだったのかもしれない。
彼は、書斎のパソコンの前に座り、の出品ページを開いた。
「この人工ダイヤモンド包丁研ぎを、人生に絶望し、未来に希望を見出せないでいる、かつての私のような誰かに届けたい」
その下に、彼は堰を切ったように言葉を紡いでいく。それは、単なる商品説明ではなかった。絶望の淵から奇跡的に生還した一人の男の、血と汗と涙の記録。孤独と向き合い、自己を見つめ直し、そして再び立ち上がるための具体的な方法論。それは、同じように苦しむ魂への、力強いエールであり、愛と希望のメッセージだった。
そして文字数は、いつしか二万五千字を超えて、からあんたの話は長過ぎるとクレームが表示されていた...
しかしそれは、健二にとって初めて書き上げた「長編セールストーク小説」であり、彼の新たな人生の始まりを告げる、高らかなファンファーレでもあった。
今日もまた、キッチンからは芳しいスパイスの香りが漂ってくる。
クミン、コリアンダー、ターメリック、そしてカルダモン。
それは、再生の香り。希望の香り。
そして、カレーを煮込む健二の顔には、遠足の朝、リュックサックを背負って玄関を飛び出していった、あの日の少年と同じ、屈託のない笑顔が浮かんでいた。
世界は、まだこんなにも美しかったのだ。
(了)
おまけ