以下、所謂ブラクラ妄想ショートショートです〜〜
序章:雪また雪…囲炉裏端の小さな楽しみ
いやはや、また今年も本格的に降り始めたねぇ、この雪が。
おじさんが住んでるこの越後の山里じゃ、冬になると毎日が雪、雪、雪。朝、障子を開けると、そこはもう真っ白けな水墨画の世界よ。音という音は雪に吸い込まれて、しん、と静まり返る。この静けさが、おじさんは嫌いじゃない。都会の喧騒とは無縁の、心が洗われるような静寂だ。
こんな雪深い冬の日の楽しみといえば、やっぱり囲炉裏端で過ごす時間かねぇ。パチパチと薪がはぜる音を聞きながら、熱いお茶をすすったり、自分で漬けた野沢菜をつまみに一杯やったり。ああ、それから、古い書物を引っ張り出してきて読むのもいい。昔の人の知恵や、美しい言葉に触れると、心が豊かになる気がするんだ。
おじさんは若い頃から、どういうわけか古いもの、美しいものに目がなくてね。ガラクタ同然に見えるようなものでも、じっと眺めていると、その物が経てきた時間や、作った人の想いみたいなものが伝わってくることがある。そういう瞬間がたまらなく好きなんだ。だから、この年になっても、骨董屋巡りだけはやめられない。まぁ、最近はもっぱら馴染みの骨董屋の旦那が、面白いものが入ったと、この雪の中をわざわざ訪ねてきてくれるんだけどね。
今日も今日とて、外は吹雪。こんな日に誰が来るもんかと思っていたら、戸を叩く音がする。ありゃ、あの旦那かな?
「ごめんくださーい!旦那さん、いらっしゃいますかー?」
やっぱりそうだ。雪を頭から被った骨董屋の若旦那が、息を弾ませながら立っていた。手には、なにやら赤い、しゃれた小箱を抱えている。
「おお、これはこれは。こんな雪の中、よう来なったのぉ。さ、上がりなさい。火に当たって」
若旦那は恐縮しながらも、囲炉裏のそばに腰を下ろし、懐から例の赤い箱を恭しく取り出した。
「旦那さん、今日はちょっと面白いもんが手に入りましてね。旦那さんなら、きっとお気に召すかと思いまして」
その目がいたずらっぽく輝いている。さて、一体どんなお宝を隠し持ってきたのやら。おじさんの胸も、ちょいと高鳴るのを感じたね。
第一章:赤い小箱の誘惑 カルティエ様のおな~り~
「ほう、そいつは楽しみだ。して、何を見せてくれるのかね?」
おじさんがそう言うと、若旦那はニヤリと笑って、その赤い小箱をそっとおじさんの前に差し出した。
八角形の、しっかりとした作りの箱だ。色は深みのある赤で、まるで上等な着物の裏地みたいにしっとりとした光沢がある。蓋には金色の箔押しで、何やらアルファベットの筆記体やら、紋章のようなものがデザインされている。
「カルティエ…ですか。これはまた、ハイカラなものが来ましたねぇ」
若旦那は得意げに頷いた。
「へへ、そうでしょ?なんでも、パリだかロンドンだかの、超一流の宝石屋さんだそうで。王様とかお姫様とかがご贔屓にしてるっていうじゃありませんか」
ふむ、カルティエねぇ。おじさんも名前くらいは知ってるよ。テレビのニュースなんかで、どこぞの国の王妃様が身に着けてたとか、ハリウッドの女優さんがどうとか、そういう話で耳にするくらいだ。正直、おじさんみたいな年寄りには縁遠い、雲の上のブランドだと思ってた。派手で、きらびやかで、お値段もきっと目玉が飛び出るような代物ばかりだろうと。
「で、そのカルティエ様が、一体どんな悪戯をなさったのかね?」
おじさんがちょいと皮肉っぽく言うと、若旦那は「まぁまぁ」と苦笑いしながら、その赤い小箱の蓋を、芝居がかった手つきでゆっくりと開いた。
その瞬間、おじさんは思わず息を呑んだね。
庵の薄暗い囲炉裏端に、まるで小さな太陽が舞い降りたかのように、凝縮された黄金の光がパッと広がったんだ。いや、太陽なんて大げさかな。でも、雪に閉ざされたこの部屋に、確かな温もりと輝きをもたらしたことは間違いない。
そこには、純白の絹のクッションに守られるようにして、小さな、本当に小さな黄金のリンゴがちょこんと鎮座ましましていた。
「こりゃあ……!」
おじさんは言葉を失った。ただの金ピカな飾り物とは違う。何か、こう、心惹かれるものがある。形も、色も、そして何よりその佇まいが。
添えられた小さな札には「F3624」という記号と、「14.3G」という数字が記されている。無粋なもんだとは思うけど、これがこの子の戸籍みたいなもんなんだろうね。
「どうです、旦那さん?『ゴールデンアップル』って言うんだそうです」
若旦那の声も、心なしか弾んでいる。
おじさんはそっと、指先でその黄金のリンゴに触れてみた。ひんやりとした金属の感触。だが、すぐに手のひらで包み込むと、おじさんの体温を吸って、じんわりと温かみを帯びてくる。この感覚、久しぶりだ。生きている素材と触れ合っているという実感。
そして、手に取った時の、あのずしりとした重み。14.3グラム。数字だけ聞けば大したことないように思うかもしれないけど、この小さなリンゴにこれだけの黄金が詰まっていると考えると、その密度に驚かされる。これは、ただのメッキなんかじゃない。本物の、K18イエローゴールドの塊なんだ。
おじさんは、ただ黙って、掌の中の小さな黄金のリンゴを見つめていた。これは…ちょっと、ただもんじゃないぞ、と。
第二章:掌中の小宇宙 林檎が語る幾千の物語
リンゴ、ねぇ。
このどこにでもある果物に、人間ちゅうのは昔からいろんな意味を込めてきたもんだ。
若旦那が淹れてくれた熱い番茶をすすりながら、おじさんは掌の中の黄金のリンゴを改めて眺め回した。
聖書に出てくるアダムさんとイブさんが食べたっていう禁断の果実も、確かリンゴだったかね。あれを食っちまったおかげで、人間は楽園を追い出されたって話だけど、同時に知恵とやらも手に入れた。良いんだか悪いんだか、おじさんにはよくわからんけどね。でも、何かを知るっていうのは、ドキドキするけど面白いことでもあるよな。
ギリシャの神話じゃ、美しい女神様たちが「一番美しい私に!」って、一つの黄金のリンゴを巡って大騒ぎしたっていうじゃないか。それがきっかけで、トロイアとかいう大きな戦争まで起きちまったってんだから、リンゴも罪なヤツだよ、まったく。美しすぎるものってのは、時として人を狂わせる力があるのかもしれないね。
北欧の神様たちは、イズンって女神様が持ってる黄金のリンゴを食べると、いつまでも若くいられるって信じてたらしい。不老不死か。そりゃあ魅力的な話だけど、おじさんは別に永遠に生きたいとは思わないなぁ。それよりも、今日一日をしっかり味わって、美味いもん食って、美しいものを見て、それで満足だよ。でも、心の若さだけは、いつまでも持っていたいもんだね。新しいものに出会った時のワクワクする気持ちとか、知らないことを知りたいっていう好奇心とかさ。
この小さなカルティエのリンゴは、そんな古今東西の物語をぜーんぶ、その小さな体の中に詰め込んでいるみたいだ。見る人によって、いろんな物語が浮かんできそうだね。
文学でいえば、ウィリアム・テルが息子の頭の上のリンゴを射抜いた話もあったな。あれは勇気と試練の象徴か。セザンヌとかいう絵描きさんは、リンゴの絵をたくさん描いたっていうし、マグリットとかいうシュールな画家の絵にも、空飛ぶリンゴが出てきたりする。たかがリンゴ、されどリンゴ。芸術家たちの心を捉えてやまない何かがあるんだろうね。
おじさん自身の思い出にも、リンゴはちょくちょく顔を出すよ。子供の頃、風邪をひいて寝込んでいると、お袋がすりおろしたリンゴを持ってきてくれたっけな。あの優しい甘さと、シャリシャリした食感。あれを食べると、なんだか元気が出てくるような気がしたもんだ。
初めて女の子に手紙を書いた時、ドキドキしながら待ち合わせ場所のリンゴ畑に行ったこともあったっけ。結局、手紙は渡せずじまいだったけど、夕焼けに染まるリンゴの赤さが目に焼き付いてるよ。甘酸っぱい思い出だねぇ、まったく。
この黄金のリンゴは、一体どんな物語を秘めているんだろう。パリの職人さんが、どんな気持ちでこれを作ったのか。もしかしたら、故郷のノルマンディー地方のリンゴ畑を思い浮かべながら、一つ一つ丁寧に磨き上げたのかもしれない。あるいは、恋人への熱い想いを、この形に託したのかもしれない。
そんなことを考えていると、この小さなリンゴが、ただの金属の塊じゃなくて、まるで生きているみたいに思えてくるから不思議だ。
第三章:K18の煌めき 黄金は正直者なのだ
さて、このリンゴに使われているのは、K18イエローゴールドだそうだな。
金ちゅう金属は、昔からその輝きと変わらない性質から、宝物として扱われてきた。王様の冠とか、お寺の仏像とか、金で作られたもんは数えきれないほどある。錆びないし、腐らない。だから、永遠の象徴みたいに思われてきたんだろうね。
エジプトのツタンカーメン王の黄金のマスクなんて、何千年も前のものなのに、今でもピカピカに光ってるっていうじゃないか。日本の歴史じゃ、豊臣秀吉が黄金の茶室を作ったなんて話もある。まぁ、おじさんには、あのキンキラキンはちょっと趣味じゃないけどね。わびさびってもんが、ちょいと足りない気がする。
でも、金そのものは嫌いじゃないよ。特に、このK18っていうのは、純金に他の金属を混ぜてあるから、純金よりも丈夫で、色合いもちょいと優しくなるんだ。このリンゴの黄色も、派手すぎず、地味すぎず、なんとも言えない温かみのあるいい色だ。日本人の肌にも、すっと馴染むような気がするね。
おじさんが金という素材で一番好きなところは、その「正直さ」だ。金は嘘をつけない。純度も、重さも、ごまかしがきかない。だからこそ、職人の腕が試される。どれだけ丁寧に、心を込めて作られたかが、そのまま形に表れるんだ。
この14.3グラムという重さ。この小さなリンゴに、それだけの純粋な価値が詰まっている。それは、鉱山から掘り出されて、何度も精錬されて、そして熟練した職人の手によって、ようやくこの形になったっていう、長い長い物語の重みなんだよ。そう思うと、この掌の上の小さなリンゴが、とてつもなく尊いものに感じられてくる。
表面の仕上げも見事なもんだ。ツルツルに磨き上げられた鏡面の部分と、わざと艶を消して落ち着いた雰囲気にしたマットな部分。この二つの質感が、光の当たり方でいろんな表情を見せてくれる。
囲炉裏の揺らめく炎を映せば、温かく、どこか懐かしいような光を放つ。窓から差し込む冬の弱い日差しに翳せば、キリリとした、それでいて優しい輝きを見せる。もしこれが、月の光の下にあったなら、きっと幻想的な、夢のような光を放つんだろうね。
こういう、光と影の遊び心みたいなものが、本当に良い金細工の証なんだと思うよ。見ていて飽きないし、使うほどに愛着が湧いてくる。
おじさんも若い頃、ちょいとした出来心で金の指輪を買ったことがある。安物だったけど、毎日身に着けていたら、だんだん傷だらけになって、でもそれがまた自分の歴史みたいで愛おしかった。金っていうのは、そういうふうに持ち主と一緒に時間を重ねていく金属なのかもしれないね。
このカルティエのリンゴも、きっとこれから誰かの手に渡って、いろんな物語を刻んでいくんだろう。そう思うと、なんだかワクワクするね。
第四章:開けゴマ! 精緻なる仕掛けと職人の意地
この黄金のリンゴをしばらく眺めているうちに、おじさんはあることに気がついた。
「おや?ここのヘタの部分、なんだかちょいと…」
指先でそっと触れてみると、リンゴのヘタの部分が、ほんの少しだけ動くような気がする。もしかして、と思い、爪の先で軽く押してみると…なんと、カチリという小さな音とともに、リンゴが三つのパーツに分かれて開いたんだ!
「おおっ!こりゃあ、たまげた!」
おじさんは思わず声を上げた。若旦那は「どうです、驚きました?」と得意満面だ。
いやはや、これは見事な仕掛けだね。まるでからくり細工のようだ。
外側の二片は、さっきも言ったようにピカピカの鏡面仕上げ。それがパカッと左右に開くと、中から現れたのは、これまた息をのむほど美しい細工だった。
リンゴの芯にあたる中央の部分。ここには、艶消しされた黄金の地に、カルティエの「C」の字を二つ組み合わせた有名なロゴマークが、まるで繊細なレース編みのように透かし彫りで表現されている。この細かいこと!ルーペがなきゃ、よく見えないくらいだ。
それだけじゃない。開いた内側の面にも、小さな小さな文字で「Cartier」というブランド名と、おそらくは製造番号であろう数字が、きっちりと刻印されている。こんな見えないところにまで、これほどの手間をかけるとはね。これぞ本物の証、職人の意地ってやつだろう。
この開閉のギミックだって、ただの遊び心で作れるもんじゃない。それぞれのパーツの大きさ、角度、噛み合わせ、全部が寸分の狂いもなく計算されてないと、こんなにスムーズに開け閉めできないはずだ。閉じた時には、またピタッと元の完璧なリンゴの形に戻る。この一連の動きの滑らかさに、作った職人の自信と誇りが滲み出ているようだ。
おじさんは昔、指物師の爺様に可愛がってもらったことがあるんだけどね、その爺様がよく言ってたよ。「見えないところにこそ、手を抜けねぇんだ。神様が見てるからな」って。このカルティエの職人さんも、きっと同じ気持ちだったんじゃないかな。誰かが見てるとか見てないとかじゃなくて、自分の仕事に嘘はつけないっていう、そういう気概だよ。
このリンゴを手にした人は、まずその愛らしい形に目を奪われるだろう。次に、そのずっしりとした重みに驚き、そしてこの巧妙な仕掛けと、内側に隠された美しいロゴを見つけて、三度感動するに違いない。これぞ、人を喜ばせるための、最高の「おもてなし」の心だね。いやはや、西洋の職人さんにも、なかなか骨のある人がいるもんだ。感心したよ。
第五章:誰がために鐘は鳴る…いや、林檎は輝く?
さて、こんな素晴らしい黄金のリンゴ、一体どんな人が身に着けるのが似合うんだろうかねぇ。
おじさんは囲炉裏の火を掻き混ぜながら、あれこれと想像を巡らせてみた。
ただお金持ちだからって、ブランド物だからって飛びつくような人じゃ、このリンゴの本当の良さはわからないだろうな。そういう人にとっては、これはただの見栄を張るための道具でしかない。それでは、このリンゴが可哀想だ。
やっぱり、本当に美しいものがわかる人、本物を見抜く目を持った人にこそ、身に着けてほしいもんだ。流行に流されずに、自分の「好き」を大切にしている人。そういう人が、このリンゴをさりげなく胸元に飾っていたら、きっと素敵だろうね。リンゴも、そういう持ち主と一緒なら、心なしか輝きが増すような気がするよ。
例えば、そうだな…いつもお洒落な着物を粋に着こなしている、小料理屋の女将さんなんかどうだろう。しっとりとした色香の中に、凛とした強さも感じさせるような、そんな女性。その胸元で、この黄金のリンゴが小さく揺れていたら、きっと目を引くだろうね。お客さんとの会話も、いつもより弾むかもしれない。
あるいは、大学で古い文学を教えているような、知的な雰囲気の紳士。普段は真面目な顔をして難しい本を読んでいるけど、実は遊び心も忘れていない、そんな人。ジャケットの襟元に、このリンゴをピンブローチみたいにして留めていたら、お洒落じゃないか。学生たちも、先生の意外な一面に親しみを感じるかもしれない。
いや、もっと若い人でもいいな。夢を追いかけて、一生懸命頑張っている若い芸術家の卵とか。自分の作品がなかなか認められなくても、この黄金のリンゴをお守りみたいにして、いつか成功する日を夢見ている…なんていうのも、なんだか応援したくなるね。
それとも、人生の大きな節目を迎えた人が、自分へのご褒美として、あるいは新しい門出の記念として、このリンゴを選ぶのかもしれない。結婚する娘に、母親がそっと手渡すとか。還暦を迎えたお父さんに、子供たちが感謝の気持ちを込めて贈るとか。そういう、人の想いが込められた時、このリンゴはただのアクセサリーじゃなくて、かけがえのない宝物になるんだろう。
おじさん自身がこれを身に着けるとしたら…うーん、ちょっと気恥ずかしいかねぇ。でも、もし孫娘が大きくなって、「おじいちゃん、これ貸して」なんて言ってきたら、喜んで貸してやるだろうな。そして、その子がこのリンゴをどんなふうに身に着けて、どんな物語を紡いでいくのか、こっそり見守るのも楽しいかもしれない。
このペンダントは、身に着ける人の個性や生き方を、そっと引き立ててくれるような気がする。まるで、良い役者がどんな役でもこなせるように、どんな人にも寄り添って、その人らしい輝きを与えてくれるんじゃないかな。
もしこれを手に入れたなら、ぜひ、自分らしいお洒落を楽しんでほしいもんだ。かしこまった席だけじゃなくて、普段の何気ない日にも、ちょっとした遊び心で身に着けてみるのもいい。例えば、シンプルなセーターに合わせたり、洗いざらしのシャツの胸元からのぞかせたり。きっと、いつもの景色が少しだけ違って見えるはずだよ。
第六章:雪国の食卓と黄金の果実 美味いもんと美しいもんは親戚だ
この黄金のリンゴを眺めていると、不思議とお腹が空いてくるんだよな。
いや、もちろんこれをかじるわけにはいかないんだけど、なんだか美味いもんを連想させる輝きなんだ。
雪国の冬の食卓ってのは、見た目は地味だけど、滋味深いものが多い。春に採った山菜を塩漬けにしたものとか、秋に軒下に吊るした干し柿とか。厳しい冬を乗り越えるための、昔ながらの知恵が詰まってる。このペンダントも、職人さんの知恵と手間がぎゅっと凝縮されている点で、どこか通じるものがある気がするね。
リンゴといえば、やっぱりお袋が作ってくれた焼きリンゴを思い出すな。芯をくり抜いたところにバターと砂糖を詰めて、ストーブの上でじっくり焼くんだ。部屋中に甘い香りが広がって、焼き上がったアツアツのリンゴをフーフーしながら食べるのが、冬の日の最高の贅沢だった。この黄金のリンゴも、そんな温かくて甘い記憶を呼び覚ましてくれるようだ。
西洋じゃ、アップルパイとか、タルトタタンとか、リンゴを使ったお菓子がたくさんあるらしいね。そういうのを、このリンゴを眺めながら食べたら、さぞかし美味いだろうなぁ。お酒だったら、リンゴから作るシードルとか、カルヴァドスなんていうのもある。このペンダントを胸に飾って、そういうお酒をちびりちびりやるのも、乙なもんだね。
このリンゴの黄金色は、他にもいろんな美味いもんを思い出させるよ。例えば、お正月のお節料理に入ってる栗きんとん。あの、ねっとりとした甘さと、鮮やかな黄色。あれもまた、幸せの色だよな。あとは、新鮮な卵の黄身の色とか、黄金色に輝く蜂蜜とか、冬の珍味のカラスミなんかも、こんな色をしてる。
やっぱり、美味いもんと美しいもんてのは、どこかで繋がってるんだな。どっちも、人の心を豊かにしてくれる。
もし、このペンダントを身に着けた素敵な人が、おじさんの作った手料理を「美味しいわ」なんて言いながら食べてくれたら、そりゃあもう、おじさんにとっては最高の幸せだよ。囲炉裏の火が、この黄金のリンゴをキラキラと照らして、その人の笑顔も一層輝いて見えるんだろうな。そんな光景を想像するだけで、なんだか心が温かくなるよ。
終章:の海へ旅立つ小さな林檎へ 達者でな!
さて、若旦那の話じゃ、このカルティエの黄金の林檎、F3624は、とかいう、インターネット上の市場に出品されるんだそうだ。
いやはや、時代は変わったもんだねぇ。おじさんの若い頃には考えられなかったことだよ。昔なら、こういうお宝は、ごく一部の金持ちか、よっぽどの数寄者しか手にすることができなかった。それが今じゃ、パソコンやスマホとかいう便利な機械があれば、誰でも見ることができて、気に入れば買うこともできるってんだから。良いんだか悪いんだか、おじさんにはちょいと複雑な気分だけどね。
でも、一つ言えるのは、このペンダントの価値は、値段だけじゃ決まらないってことだ。もちろん、K18の金としての価値もあるし、カルティエっていうブランドの価値もあるだろう。だけど、それ以上に、この形に込められた職人の技と心、そして、これからこのリンゴが紡いでいくであろう物語にこそ、本当の価値があるんじゃないかな。
だから、もしこれを手に入れる人がいるなら、その金銭的な価値だけじゃなくて、そういう目に見えない価値も大切にしてほしいもんだ。
このおじさんの長ったらしい話を、ここまで辛抱強く読んでくれたアナタ。もし、この黄金のリンゴを見て、何か心が動かされるものがあったなら、それはもう、運命の出会いかもしれないよ。骨董品でも何でもそうだけど、物との出会いってのは一期一会だからね。ピンと来たら、それはもう「おいで」って呼ばれてるってことだ。
あとは、アナタ自身の目と心を信じて、決めるしかない。
この小さな黄金のリンゴが、本当にその価値をわかってくれる人のところに嫁いでいって、末永く可愛がってもらえることを、この雪深い越後の山里の片隅から、おじさんは心から願ってるよ。
そして、いつかどこかで、このリンゴを身に着けた素敵なアナタに、ばったり出会えたら嬉しいな。その時は、ぜひ声をかけておくれ。「あの時ののリンゴですよ」ってね。そしたら、おじさん、自慢の田舎料理でもご馳走するからさ。
さあ、小さな林檎よ、新しい持ち主の元へ、いってらっしゃい。達者でな!
おじさんはまた、雪景色を眺めながら、熱燗でも一杯やることにするよ。
うん、このリンゴの輝きを思い出したら、今夜の酒は格別に美味くなりそうだ。なんだか、雪解けの春が待ち遠しくなってきたねぇ。