1968年10月にEタイプはシリーズ2へと進化した。外観の変更は主にアメリカ連邦安全基準に合わせたためだったが、
機能上の問題から変更された部分もあった。現在デザイン面においてあまり人気がないことは否めないが、しかし最も実用に耐えるEタイプである。
変更点は多岐にわたり、シリーズ1に存在した様々な欠点が払拭されている。
このモデルチェンジで最も目立つ変更点は灯火類である。前照灯のカバーはシリーズ1と同様取り去られ、明度を確保するために
前照灯ユニット自体が前進した。前照灯ユニットの上からボンネットに沿ってクロームメッキのラインが追加されている。
フロントのウインカーおよびリアのブレーキランプとウインカーはそれぞれバンパーの下へと場所を移し、それぞれ大型化された。
ボディ関係ではバンパーの形状および位置が見直された。リア、フロントともに大型化され、リアバンパーは位置が上げられた。
フロントバンパーの中央部、ラジエーターグリルの前には1本太いバーが通され、ジャガーのマークはその上に移動された。
ラジエーターグリル自体も大型化され、冷却効率が上がった。特徴的であった3本のワイパーは一般的な2本に改められた。
ブレーキはロッキード製からガーリング製に変えられ、制動力が飛躍的に上がった。ホイールのスピンナーの耳は、シリーズ1と同様、
歩行者を引っ掛けないようにという目的からなくなり、ホイールを外すときにはアダプターが必要になった。
内装においてはシートがリクライニングになり、ヘッドレストがオプションで選べるようになった。
スイッチ類はシリーズ1で採用となったロッカー式が引き続き採用された。
エンジンはシリーズ1から引き続き使われた直列6気筒の4,235ccであるが、シリーズ1で触れたようにエンジンのカムカバーが
美しいポリッシュ仕上げではなくなり、黒とシルバーに塗装されたものへと換えられた。
ヨーロッパ仕様はSUの3連キャブレターを採用していたが、アメリカ仕様では排気ガス規制への対策から
ゼニス・ストロンバーグ製キャブレター2基を搭載することを余儀なくされ、パフォーマンスはかなり低下した。
一方ラジエーターは容量がアップし、オーバーヒートの心配がなくなった。特に暑い国ではラジエーターグリルの大型化とあいまって
かなり信頼性が向上した。トランスミッションもシリーズ1の4,235ccと同様である。
ボディータイプは引き続きロードスター、クーペ、2+2の3種から選べた。2+2はフロントガラスの形状が見直され、傾斜がかなり強まった。
シリーズ3 5.3リットル
シリーズ2の生産が終わってしばらく後の1971年10月
[5]、シリーズ3は発売を開始した。アメリカの安全基準に適合させるために
骨抜きになったEタイプはエンジンをウォルター・ハッサンとウォーリー・マンディにより設計された内径φ90.0mm×行程70.0mmで5,343cc、
圧縮比9.0の新開発V12気筒エンジンに置き換えることでそのパフォーマンスを回復した。
キャブレターはゼニス・ストロンバーグ175CDSEを片バンク2機ずつ備え、272hp/5,850rpm、42.0kgm/3,600rpm。
アルミブロックを採用したため6気筒と比べても重量増はわずかに留まり、最高速度は227km/h、0→60mph加速は6.9秒を記録した。
このエンジンはまさにシルキー・スムーズなすばらしいエンジンであり、その後XJサルーンや後継モデルであるXJ-Sにも搭載されて、
改良を受けながら20年以上も生産された。もちろんジャガーの伝統どおり、新型エンジンは最初に生産規模の少ないスポーツモデルに搭載し
、市場へのテストベンチとする、という役割もシリーズ3は担っていた。
当初ジャガーはレーシング・プロトタイプであるXJ13に搭載したツインカムの5.0リットルV型12気筒エンジンをデチューンして、
新たなEタイプに搭載しようと考えていたようだ。しかし量産するには機構が複雑すぎることもさることながら、
何よりツインカムのヘッドがEタイプの狭いエンジンベイに納まらないことから採用は見送られ、代わりにシングルカムのV型12気筒
エンジンを搭載することとなった。
ボディタイプはクーペが廃止されロードスターと2+2の2タイプのみとなった。ロードスターも2+2の
シャシを使っていたため、
ホイールベースはかなり延長された。その結果ロードスターのラゲッジスペースは拡大され、また従来は2+2でしか選べなかった
ボルグワーナー製の3速ATがロードスターでも選べるようになった。従来どおりいずれのモデルにも自社製4速MTも用意された。
外装は大きく手直しを受け、シリーズ1のシンプルな美しさはなくなったが、代わりに迫力と豪華さを備えていた。
フロントにはメッキの格子状グリルが付いた。その横のバンパーにはアメリカの基準に合わせるべくつけられた不恰好な
オーバーライダーがつけられていた。重量増に対応するためタイヤは太くなったが、それを飲み込むためにホイールアーチには前後ともフレアがつけられた。
前照灯には車幅灯が組み込まれたが、それ以外灯火類は大きな変更を受けず、方向指示器も後部の灯火類もそのままシリーズ2のものが用いられた。
室内ではシートが新設計のものとなった。ヘッドレストは国によって義務付けられたり、オプション扱いになったりした。
ステアリングはウッドステアリングが廃止になり、代わりに皮巻きのものが取り付けられた。
その他の変更点としては、パワステが付いたこと、ブレーキのディスクが通風式になったこと、ノーマルの車輪がワイヤーから
メッキカバーの付いたスチールホイールへと変更されたこと、などが挙げられる。サスペンションも若干の変更を受けた。
これらの変更を受け大きく姿を変えたEタイプであるがしかしこの時点ですでにかなり旧態化しており、すばらしい新型エンジンはむしろその旧態化したシャシーを目立たせてしまう結果となった。折りしも当時はオイルショックのまっただ中であり、
時代がスポーツカーには全くの逆風だった。さらに悪いことにはこのときすでにブリティッシュ・レイランド傘下に入っていた
ジャガーの自動車の品質はかなり落ちており、最大のマーケットであるアメリカにおいて「よく壊れる車」とのレッテルを貼られる羽目に陥ってしまった。
これらのことからシリーズ3は失敗作だとするマニアの声は多いようであるが、何物とも比較せずシリーズ3だけを見れば、
これは未だにすばらしいパフォーマンスを誇る美しい車であると言える。
2+2クーペは1973年末、ロードスターは1975年2月に製造中止となった。なお最後の50台にはライオンズのサインが入った、
ゴールドのプレートが助手席のパネルに張られている。50台のうち49台は特別色のブラックで塗られてラインオフした。
最後の1台はジャガー・ヘリテッジ・トラストに展示されている。